トップページ > ブログ・Q&A > 今日の判決(著作権)

今日の判決(著作権)

2011年06月28日18:03 恋愛の神様事件
2011年06月21日11:35 データ復旧サービス事件
2011年06月03日13:37 NEW増田足事件
2011年01月20日19:42 まねきTV事件とロクラク事件の両最高裁判決
2010年10月15日11:55 絵画鑑定書事件(知財高裁)
2010年07月22日21:04 箱根富士屋ホテル物語事件
2010年06月25日11:56 邦画海外製造DVD輸入事件
2010年06月04日10:13 がん闘病マニュアル事件


2011年06月28日18:03 恋愛の神様事件

【裁判所】 知財高裁3部(飯村敏明裁判長)
【判決日】 平成23年2月28日
【事件番号】 平成22年(ネ)第10051号(原審・東地平成18年(ワ)第24088号)
【判決文】 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110310095040.pdf

本件は、携帯電話やパソコン向けの配信コンテンツのソフトウェア(「恋愛の神様」含め合計20個ほど)やそこに含まれるイラスト等に関し、被告らの行為が原告の著作権等を侵害するなどとして、損害賠償の支払を求めた事案です。

原審(東京地裁40部平成22年4月28日判決)は、プログラムについては著作権侵害を認めませんでしたが、ある占いの際にユーザーインターフェースに表示される「ルーン石」のイラストの一部(カラーのもの)について著作権侵害を認めました。しかし、知財高裁では、プログラムはもちろんイラストについても一切侵害を認めず、控訴人(原告)が全部敗訴となっております。が、イラストの著作物性の否定については、特に目新しいところはないので、以下の2点について検討します。

(1)プログラムの著作物
まず最初に注目すべきは、先日、当事務所の山田弁護士が記事(こちら)を書いたNew増田足事件において、誤解を与えるかのような判示のあったプログラム著作物の創作性や同一性の判断基準について、本判決では、以下のように正確に書いてくれたことです(下線は筆者)。


「もっとも,プログラムは,・・・コンピュータに対する指令の組合せという性質上,表現する記号や言語体系に制約があり,かつ,コンピュータを経済的,効率的に機能させようとすると,指令の組合せの選択が限定されるため,プログラムにおける具体的記述が相互に類似せざるを得ず,作成者の個性を発揮する選択の幅が制約される場合があり得る。プログラムの具体的表現がこのような記述からなる場合は,作成者の個性が発揮されていない,ありふれた表現として,創作性が否定される。また,著作物を作成するために用いるプログラム言語,規約,解法には,著作権法による保護は及ばず(同法10条3項),一般的でないプログラム言語を使用していることをもって,直ちに創作性を肯定することはできない。
 
  さらに,後に作成されたプログラムが先に作成されたプログラムに係る複製権ないし翻案権侵害に当たるか否かを判断するに当たっては,プログラムに上記のような制約が存在することから,プログラムの具体的記述の中で,創作性が認められる部分を対比し,創作性のある表現における同一性があるか否か,あるいは,表現上の創作的な特徴部分を直接感得できるか否かの観点から判断すべきであり,単にプログラム全体の手順や構成が類似しているか否かという観点から判断すべきではない。


また、対象となっているかなりの数のプログラムについて、それぞれ何が「アイデア」であるのか具体的に指摘して下さっているので、今後、プログラムの著作物を検討する際に参考になると思います。

(2)不法行為と債務不履行
本件でも例に漏れず、著作権侵害が認められない場合を慮って、予備的に一般不法行為の成立が主張されています。
また、それとは別途、債務不履行も主張されております。これは、当事者間で不完全な文言ながら、平成17年3月31日までの期限付きでプログラムの使用を許諾する旨の確認書が交わされているので、それを根拠に主張されているものです。

これらの点について、判決は以下のように判示しました。


「 ・・・被告ら又はインデックスが,原告の著作権ないし著作者人格権を侵害したとする原告主張の事実は何ら認めることができず,被告らが原告に対し,不法行為責任を負うことはない。
 被告らの行為は,本件確認書に違反する債務不履行に該当するとする原告の主張の根拠たる事実は,不法行為に係る主張の根拠たる事実と同一である。そして,被告らの行為が不法行為を構成しないことは,前述のとおりであるから,同様に,債務不履行にも該当しない。」



この判示は、不法行為と債務不履行(確認書違反)が成立するためには、著作権侵害の成立が前提となっているかのように読めます(もちろん、確認書にそのような規定はありません)。これは、明らかにおかしいと思います。

おそらく、これは結論ありきの判決であったため、判示がの書き方が適当になってしまったのだと思います。というのは、本件の前訴で訴訟上の和解が成立しており、その和解条項にしたがって原告に対し1億6000万円が支払われているのです。裁判所は、この事実を重視し、原告にはこれ以上回復させるべき損害はない、と判断したのだと思います。

知的財産の訴訟では、この手の「結論ありき」ゆえに論理がよく検討されていない判決がままあって、非常に問題だと私は思ってます。特に著作権の判決は、相対的に少ないのでこの手の「結論ありき=論理適当」な判決すらも立派な判決として一人歩きしちゃってる気配があって、非常に危険。形式的な事案としては似ていても、その判決が事例判決である可能性も念頭において、判例だけに頼らず個々の事案に即して検討することが必要です。

弁護士 永 田 玲 子
インフォテック法律事務所

[▲上へ]


2011年06月21日11:35 データ復旧サービス事件

【裁判所】 知財高裁第4部(滝澤孝臣裁判長)
【判決日時】 平成23年5月26日
【事件番号】 平成23年(ネ)第10006号損害賠償等請求控訴事件(原審・東京地裁平成20年(ワ)第27432号)

本件は、インターネットのサイトにデータ復旧サービスに関する文章を掲載した被控訴人の行為が、控訴人が創作し自身のサイトに掲載しているデータ復旧サービスに関するコンテンツや広告用文章を無断で複製・翻案したものであり、著作権侵害等に該当するとして、損害賠償や謝罪広告を請求した事案です。

この案件は、著作権に関する事件に多くある、「切ない」事件の1つです。世に元祖とか先駆者などと評される「最初にそれを考えた人」が「守って欲しい」と思うところが法的には殆ど守ってもらえないことが、如実に現れているからです。

原審は、サイト上の控訴人(原告)文章と被控訴品(被告)文章とは、表現上の創作性がない部分において同一性を有するに過ぎないから、共通点が存するからといって著作権侵害を認めることはできないとして、請求を棄却しています。

これに対し、控訴人は、表現が「平凡かつありふれたもの」であっても、新しい知見に基づく表現である場合や、複雑な事項を一般人が理解しやすいように論理を整理し、取り上げるべき事項を取捨選択し一定の観点から配列し、平易な言葉で表現するという作業がされている場合には、その作業の過程において作者の相当の精神的活動が行われるとして、控訴人文章のように当時一般には知られていなかったデータ復旧サービスについて、控訴人の創意工夫のもとに表現されたものについては創作性が認められると主張しました。

しかし、知財高裁は、以下のように判断して一蹴しています(下線部は筆者。以下同じ)。


 著作権法は,あくまで表現をその保護の対象とするものであるから,「新しい知見」であるか否かを問わず,単なる事実や思想,アイデアを保護するものではない。データ復旧サービスに関する知見が「新しい知見」であったとしても,当該知見に関する単なる事実や思想等について,ありふれた表現で表現するにすぎない場合や,一般的に使用されるありふれた言葉を選択し,組み合わせたにすぎない場合には,その「選択」と「組合せ」に創作性を認めることはできない。
 そして,控訴人代表者が控訴人文章を作成する際,取り上げるべき事項を取捨選択し,一定の観点から配列するなどの創意工夫を行ったとしても,編集著作物の要件を満たす場合は格別として,そのような作業過程を経たことをもって,その成果物について,直ちに創作性を認めることができないことも明らかである。


「新しい知見」に基づく事柄を「一般人に分かり易く」書くことがどんなに大変であるか、その作業にどんなに時間を費やさなければならないか、これはどの分野の方でも想像できることだと思います。しかし、著作権法は、この点をストレートに保護するわけではないのです。

そもそも「新しい知見」自体はアイデアであることが多く、アイデアは著作権法では保護されません。「新しい知見」がどういうものであるかを説明した「文章そのもの」に創作性がなくてはならいのです。しかし、「新しい知見」を「一般人に分かり易い文章」で書くためには、使用する単語も勢い平易になりますし、何よりよく使われているありふれた表現で書くことが多くなります。ところが、そうすると、創作性が認められる余地は小さくなってしまうのです。

そのため、多くの場合、著作権法で保護されることが困難であることを念頭に、他の法律構成で「苦労」が保護されないかが検討されます。具体的には不正競争防止法と一般不法行為の適用ですが、不正競争防止法は要件が厳しいので訴訟で主張するところまで至らないことが多い。残るは、一般不法行為(民法709条)ですが、これも本当に狭き門です。

本件でも、判決は被控訴人が控訴人の文章を参照したと考えていて、その点を踏まえて被控訴人が控訴人を非難するのは無理からぬ、とまで書いているのですが、結論として一般不法行為の成立は否定しています。

前半部分は以下のとおりです。


 仮にA の説明のとおり,被控訴人文章作成の際,控訴人文章を全く参照しなかったのであるならば,控訴人文章と被控訴人文章とが,記載順序や構成がほぼ共通しているほか,データ復旧が必要となる状態を「非常事態」とした上で,データ復旧サービスを「有効な回復策の一つとして」「データ復旧サービスの利用を検討する」という具体的表現(控訴人文章2③)や,パソコン修理及びデータ復旧について「主眼を置く」点を明らかにした上で,「例えを用いて説明する」具体的表現(控訴人文章3②・③)のみならず,パソコンの低価格化とデータの重要性向上について説明した上で,パソコンに事故が起こった場合に,パソコンが大切なのか,データが大切なのかをよく見極めることが大切であると結論付ける具体的表現(控訴人文章3④)についてもほぼ一致していることは,それらがありふれた表現であることを考慮しても,不自然であるというほかない。

 ・・・したがって,控訴人がA の説明に疑問を抱き,
著作権侵害が認められないとしても,なお被控訴人の行為を強く非難することは,それ自体無理からぬところである。


結論部分は以下のとおりです。
  
 
 しかしながら,控訴人主張の「オリジナル広告文」が法的保護に値するか否かは,正に著作権法が規定するところであって,当該広告が著作権法によって保護される表現に当たらず,その意味で,ありふれた表現にとどまる以上,これを「オリジナル広告」として,控訴人が独占的,排他的に使用し得るわけではない。
 したがって,被控訴人が控訴人のそのような広告と同一ないし類似の広告をしたからといって,被控訴人の広告について著作権侵害が成立しない本件において,著作権以外に控訴人の具体的な権利ないし利益が侵害されたと認められない以上,不法行為が成立する余地はない。
 そして,控訴人文章の作成について,いかに控訴人代表者が創意工夫をこらしたとしても,それが著作権法の保護に値せず,そのほか著作権以外に控訴人の具体的な権利ないし利益の侵害が認められない以上,一般不法行為を理由に,法的保護を受けることができないことはいうまでもない。著作権法の保護の対象とされない表現物については,原則として自由に利用し得るものであり,前記説示のとおり,控訴人文章と被控訴人文章とは,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎない以上,被控訴人文章をウェブサイトに公開したことをもって,公正な競争として社会的に許容される限度を超えたものということはできない。
 さらに,被控訴人が,被控訴人文章をウェブサイトに公開したことをもって,被控訴人に控訴人指摘の何らかの利益が生じたとしても,その点について控訴人が法的保護に値する立場にない本件においては,これをもって公正な競争として社会的に許容される限度を超えたなどといい得る前提があるものではない。



情報というのは法規制がない限り基本的に自由利用であるという、根本的な考え方がよく分かる判示だと思います。

なお、判示にある「著作権以外に控訴人の具体的な権利ないし利益が侵害されたと認められ」る場合が、どのような場合であるのかについて具体的に検討できる記載は一切ありません。この点は大変気になるところですが、他の裁判例を検討しても、裁判所がいかなる場合に不法行為に該当すると判断するかについては、未だ確立した理論が構築されているわけではなく、判例の集積を待つしかありません。

本件と同じような事案は、世の中に数多くあると思います。しかし、一般論として、「元祖」とか「先駆者はあの会社」というような一種の名誉が事実上与えられることはあっても、法的保護が認められることは極めて難しいといわざるを得ません。


弁護士 永田玲子
インフォテック法律事務所

[▲上へ]


2011年06月03日13:37 NEW増田足事件

【裁判所】東京地方裁判所(民事第46部/大鷹一郎裁判長)
【判決日】平成23年1月28日
【事件番号】平成20年(ワ)第11762号 著作権侵害差止等請求事件

 事案の概要は、以下のとおりです。

 原告は株式投資のコンサルタント等を目的とする会社であり、被告は情報処理に関するソフトウェア及びハードウェアの開発・販売等を目的とする会社です。被告の代表者は従前、原告に雇用されており、広告,営業,ソフトウェアの開発等の業務に従事しており、その間に原告のために「NEW増田足」という名称の株価チャートを作成するなどしました。が、その後退社して被告を立ち上げ、被告の事業として、顧客に対し「NEW増田足」と同じ機能を持つソフトウェアをホームページ上で販売しています。

 そこで、原告は、著作権および著作人格権侵害、そして一般不法行為に基づき、損害賠償等を求めて、被告とその代表者を東京地裁に訴えました。

 東京地裁(民事第46部/大鷹一郎裁判長)は、争点の1つである原告プログラムと被告プログラムの同一性について以下のように判示しました(下線は筆者)。

「MainForm.csの原告ソースコードとMainForm.csの被告ソースコードとは,開発ツールによって自動生成されたことが明らかな部分(MainForm.csの被告ソースコードでいえば,乙4の1頁1行目から188頁29行目までの部分)を除いた約300に及ぶ関数(被告ソースコードでは321,原告ソースコードでは298)のうち,103の関数…(中略)…においては全く同一の記述内容であり,148の関数…(中略)…においては関数等の名称に相違が見られるものの,当該関数内に記述された処理手順は同一であり,47の関数…(中略)…においてはソースコードの記述に一部相違が見られるものの,処理手順等に大きな相違はないのであって,他方,両者で全く異なる表現といえる部分が,23の関数…(中略)…において見られるが,その量的な割合は,約300の関数に係るソースコードのうちの約5パーセントにとどまるものということができる。 
 (イ) さらに,上記(ア)以外の原告プログラムのソースコードと被告プログラムのソースコードとの間についても,原告が別紙4に基づいて主張する程度の類似性があること,すなわち,関数等の名称に相違が見られるものの,当該関数内に記述された処理手順は同一であること(前記第3の1(1)ウ(ア)a(b))は,当事者間に争いがない。 
 (ウ) 以上によれば,原告プログラムと被告プログラムとは,そのソースコードの記述内容の大部分を共通にするものであり,両者の間には,プログラムとしての表現において,実質的な同一性ないし類似性が認められるものといえる。」


 これは、突っ込みどころ満載の判示です。

 まず最初の突っ込みどころは、プログラムの著作物の実質的同一性・類似性の判断基準として、「処理手順」の同一性があればよい、と読めるかのように書いていることです。ここは、大きな誤解を招きます。

 たとえば、知財高裁3部平成23年2月28日判決(恋愛の神様事件)が「単にプログラム全体の手順や構成が類似しているか否かという観点から判断すべきではない。」(45頁)と判示しているとおり、プログラムの著作物の実質的同一性・類似性は、処理手順が同一であればよい、というものではありません。

 プログラムの著作物について、一番最初に実質的同一性・類似性を検討すべき箇所は、ソースコードの表現(記述)です。

 ソースコードの表現(記述)にどの程度の同一性・類似性があるか検討・判示をほぼ行わず、「処理手順」の同一性だけにフォーカスして判示するのは、処理手順さえ同一であれば著作権侵害が認められるとの誤解を与えてしまいます。この判決の「処理手順」が具体的にどういうものを指すのか不明ですが、処理手順といわれて多くの人が想定するのはアルゴリズム、すなわちアイデアですから。
 
 次の突っ込みどころは、同一性ある部分の「創作性」を判断していないことです。
創作性のない部分にいくら同一性があっても、著作権侵害にはならないのです。この観点からも、この判示は、「処理手順にさえ同一性があれば、著作権侵害が認められる!」との誤解を与えてしまうと思います。

 さて、この判決が、事案として面白いのは、損害額の算定です。

 この判決では、著作権法114条2項によって推定することができる原告の損害は、同法114条3項の使用料相当額として認められる金額を上回らないことは明らかであるから、原告の著作権法114条2項に基づく損害額の主張は、採用の限りではない、と判断しました。

 多くの場合、114条3項に基づき算定された損害額の方が、同条の他の項により算定された損害額よりも低いのです。しかし、本件の場合は、同条2項で算定した金額の方が、3項で算定した金額よりも低いという、珍しい事例でした。
 著作権法114条3項は、判例通説とも「みなし規定」と解しています。要するに、著作権者等が受けるべき金銭の額に相当する額を侵害行為によって著作権者等が得られなかったものと擬制する規定で、侵害者からの反証は許されません。

 そして、114条4項は、著作権者等が同条1項、同2項あるいは民法709条によって、使用料相当額(114条3項)以上の賠償を請求することができることを注意的に定めた規定で、114条3項の使用料相当額による賠償は最低限の保証であることを明確にしたものです。

 判決の理由は、114条2項の法律上の推定が、侵害者側の反対証明、すなわち、侵害者利益の不存在にかかる証明(反証)あるいは侵害者利益を前提としてもなお権利者の逸失利益が生じえないとする証明(本証)により覆ったとするものではなく、同法3項の使用料相当額による賠償は侵害者の反証を許さない最低限の保証であることを理由とする法律の適用によるものです。


インフォテック法律事務所
弁護士 山 田 雄 介

[▲上へ]


2011年01月20日19:42 まねきTV事件とロクラク事件の両最高裁判決

ネット経由でのテレビ視聴サービスについて、昨年12月の記事で、最高裁におけるテレビ局勝訴の可能性について触れましたが、さっそく判決が出ました。

思いのほか早かったのですが、間接侵害における考え方について決定打が出ると期待していた当方としては、落胆を禁じえない内容でした。

●1月18日(火)のまねきTV事件(第三小法廷)判決全文はこちら
●1月20日(木)のロクラク事件(第一小法廷)判決全文はこちら

いずれの事件も高裁レベルでは、テレビ局側が敗訴しておりました。
最高裁の2つの判決は、いずれも高裁判決を破棄し、知財高裁に差し戻しております。

両判決とも、「カラオケ法理」にのっかっております(まねきTVでは「カラオケ法理」という単語は使用されておりませんが、論旨から明らか)。

★この記事を書いた後、複数の弁護士とこの判決について雑談したのですが、まねきTVは「カラオケ法理」じゃないのでは?という意見も多かったです。正直いうと、どっちでもいいです。問題は、規範のないことと、無理な解釈にあるので~。(1月21日追記)

しかし、その規範は、むしろこれまでよりも不明確になってしまったような感すらあります。(ロクラクの補足意見は更にその不明確さを後押ししているように思えます。)

はっきりしたことは、川上のテレビ局と川下の視聴者との間に、インターネットを経由したテレビの視聴に関するサービスを提供する「業者」が介在している場合は、そのサービスがどんな形態であっても「適法でない」、という価値観を最高裁がもっている、ということです。

理論構成は厳密じゃなくてOK、と判断したようです。
いかんものは、いかん、と。それが先に立ってる。
・・・同じ結論でも、もう少し異なる書き方ができたのではないでしょうか。
差し戻された知財高裁も、ちょっと困ってるんじゃないでしょうかね。

私は、どちらの事案でもテレビ局が勝訴すること自体については反対ではないのです。
しかし、今回の2つの判決のような、価値観だけが前面に出ていて、規範の定立が軽視された分かりにくい判決(特にまねきTVは顕著)が、続けて出されることについては危惧を覚えます。あまりに予見可能性が無さ過ぎて、新しいビジネスへの萎縮効果が高すぎるからです。

最高裁は、その意に反して、カラオケ法理が都合よく何かを何かに変えてしまう魔法あるいは得体の知れない怪物になってしまう可能性を考慮しなかったのでしょうか。価値観でいかようにも外延を操作できるというのは、既に「法理」とはいえないのではないでしょうか。

こうなった以上、間接侵害については、立法で早く解決して欲しいです。
本当に・・・切にそう願っています。


弁護士 永 田 玲 子

[▲上へ]


2010年10月15日11:55 絵画鑑定書事件(知財高裁)

「引用」(著作権法32条1項)として適法と認められるためには、利用する側の被引用物が「著作物」であることが必要か? という議論があります。

必要とする学説も多く、その根拠は、「引用」は創作活動のためのものであるから、というもののようです。

必要としないとする学説は、旧法では「著作物」であることが必要とされていたけれど、現行法ではその部分は削除されているという、文理解釈を根拠とするものが多いようです。

一昨日、この点について後者の説を採用した知財高裁の判決が出ました(全文のPDFはこちら)。

【事件名】 絵画鑑定書事件
【裁判所】 知財高裁第4部(瀧澤孝臣裁判長)
【判決日】 平成22年10月13日
【事件番号】 平成22年(ネ)第10052号 損害賠償請求控訴事件

判断部分は以下のとおりです。

「被控訴人は,著作権法32条1項における引用として適法とされるためには,利用する側が著作物であることが必要であると主張するが,「自己ノ著作物中ニ正当ノ範囲内ニ於テ節録引用スルコト」を要件としていた旧著作権法(明治32年法律第39号)30条1項2号とは異なり,現著作権法(昭和45年法律第48号)32条1項は,引用者が自己の著作物中で他人の著作物を引用した場合を要件として規定していないだけでなく,報道,批評,研究等の目的で他人の著作物を引用する場合において,正当な範囲内で利用されるものである限り,社会的に意義のあるものとして保護するのが現著作権法の趣旨でもあると解されることに照らすと,同法32条1項における引用として適法とされるためには,利用者が自己の著作物中で他人の著作物を利用した場合であることは要件でないと解されるべきものであって,本件各鑑定証書それ自体が著作物でないとしても,そのことから本件各鑑定証書に本件各コピーを添付してこれを利用したことが引用に当たるとした前記判断が妨げられるものではなく,被控訴人の主張を採用することはできない。」


妥当な判断だと思います。

なお、この事件の地裁判決は、公正利用(フェアユース)について日本では制度がないとして退け著作権侵害を認めております。
控訴審においてもフェアユースは論点にあがっておりますが、知財高裁の上記判決は、引用を認めて著作権侵害を否定しましたので、フェアユースについては判断しておりません。

弁護士 永 田 玲 子
インフォテック法律事務所

[▲上へ]


2010年07月22日21:04 箱根富士屋ホテル物語事件

今回、ご紹介する事件は、この7月14日に言い渡された知財高裁の判決です。全文はこちら(PDF)をご参照下さい。

原審である東京地裁46部の判決(本年1月29日言渡)は、現役の神奈川県知事が被告であったというだけでなく、その判決(一部認容)における認容部分の内容があまりにも衝撃的であったために、報道や法曹ブログで大きく取り上げられました。判決全文はこちら(PDF)をご参照下さい(なお、一部認容部分は、p72「ス No.71について」以下)。

およそありふれた表現としか思えない表現(もっと具体的に言えば、そのような状況を文章として表す際、以前から多くの文筆業の方が使い古してきた慣用句のような、工夫のない表現)で記述された、しかもわずか2行の文章に創作性を認め、複製権侵害を認めた地裁判決。

裁判所が、直感でどうしても著作権侵害を認めて、この知事をとっちめたい!と思い詰め、強引に一部認容に持って行った感じが強い・・・というのが、私の率直な印象でした。仮に、様々な生の事情を知れば「とっちめたい!」という思いに賛同する人が多かったとしても、著作物の創作性の解釈から実質的に大きくずれた判断を行うことは、やはりおかしい。

そもそも著作権の判例は相対的に少ないので、裁判所の意図するところを超えて一人歩きし易い傾向にあると、私は思っています。ゆえに、私は、この判決が及ぼす表現活動に対する悪影響や濫訴を心配しましたし、加えて、将来も継続してこのような判決を出されたら日本における表現活動が萎縮してしまいますので、この担当部の傾向に危惧を覚えました。

地裁判決後、当然、控訴され、待つこと約半年。
知財高裁の判決は、極めて常識的なものでした。議論を呼んだ地裁判決の認容部分は完全に否定され、その理由について至極真っ当な判断が示されております。実情は存じ上げませんが、結果として、高裁でも和解せずに判決を選択し、地裁判決が先例の意義を持つことを否定して下さった当事者(含代理人)と知財高裁に感謝したいです。

前置きが長くなりましたが、以下、検討します。

まず、地裁判決の概要をご紹介。原文はこちら(PDF)をどうぞ。

【事件名】  箱根富士屋ホテル物語事件
【裁判所】  東京地方裁判所民事46部(大鷹一郎裁判長)
【判決日】  平成22年1月29日
【事件番号】 平成20年(ワ)第1586号

【事案の概要】
原告は、箱根富士屋ホテル(「富士屋ホテル」)の実質的な3代目経営者である山口堅吉氏の孫であり、「箱根富士屋ホテル物語」(「原告書籍」)の著者です。
被告は、現役の神奈川県知事で「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ『奇妙人』たち」(「被告書籍」)の著者と、この書籍の出版社です。

原告は、知事が被告書籍を執筆したこと、出版社がこれを発行・販売した行為が、原告の著作権(複製権または翻案権)と著作者人格権(氏名表示権および同一性保持権)を侵害すると主張して、被告書籍の印刷・発行・頒布の差止と、損害賠償を請求しました。

【争点】
1.被告らの行為が、原告の複製権または翻案権の侵害に該当するか。
2.被告らの行為が、原告の氏名表示権および同一性保持権の侵害に当たるか。
3.被告らが賠償すべき原告の損害額

【判決要旨】
<争点1>
原告書籍における、富士屋ホテルの実質的な2代目経営者であり、初代経営者の娘婿であった山口正造氏(「正造氏」)に関する、「正造が結婚したのは、最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない。」との記述について、


「原告書籍記述部分は,上記①のエピソードを経て,婿であった正造が孝子と離婚後も富士屋ホテルにとどまり,生涯再婚することなく,富士屋ホテルの経営に精力を注いだ事実について,「富士屋ホテル」を正造の結婚相手に喩えて,正造が「結婚した」のは「富士屋ホテルだったのかもしれない」と表現した点において, 筆者の個性が現れており,創作性が認められる。」(p73)


と判断した上で、被告書籍における正造氏に関する「彼は,富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」との記述が、上記記述と実質的に同一の表現であるとして、被告らの複製権侵害を認めました。

<争点2>
原告書籍の上記記述についての氏名表示権および同一性保持権の侵害を認めました。

<争点3>
原告書籍の上記記述についての複製権および著作者人格権に対する侵害を、被告らの共同不法行為と認めた上で、複製権侵害について6万円、著作者人格権侵害について6万円、合計12万円の損害賠償請求権を認めました。
また、被告書籍について、印刷・発行・頒布の差し止めを認めました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次に、今回の高裁判決です。原文はこちら(PDF)をご参照下さい。

【事件名】  箱根富士屋ホテル物語事件(控訴事件)
【裁判所】  知的財産高等裁判所第4部(滝澤孝臣裁判長)
【判決日】  平成22年7月14日
【事件番号】 平成22年(ネ)第10017号、同第10023号

【争点】   地裁判決と同じ。

【判決要旨】
<争点1>
複製権・翻案権の侵害を一切認めませんでした。地裁判決が一部認容した部分については、

「(イ)  しかしながら,「(特定の事業又は仕事)と結婚したようなもの」との用語は,特に配偶者との家庭生活を十分に顧みることなく特定の事業又は仕事に精力を注ぐさまを比喩的に表すものとして広く用いられている,ごくありふれたものといわなければならない。しかも,「だったのかもしれない」との用語も,特定の事実に関する自己の思想を婉曲に開陳する際に広く用いられている,ごくありふれた用語である。
(ウ)  してみると,前記の正造と富士屋ホテルとの関係の特異性と,「結婚したようなものだったのかもしれない」との用語の慣用性に鑑みると,前記(ア)①ないし④の事実に接した者が,これについて「正造は,富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない。」との感想を抱くことは,それ自体ごく自然なことであって,対比文章と本件文章との前記共通点は,結局,正造と富士屋ホテルとの関係という事実に関して共有されるであろうごく自然な感想という思想であるというべきである。また,対比文章及び本件文章は,これが表現であるとしても,上記のような思想をいずれもごくありふれた用語で記述したものであるから創作性が認められない。したがって,対比文章と本件文章とでは,表現それ自体ではない部分又はせいぜい表現上の創作性のない部分において同一性を有するにすぎないから,いずれにせよ,複製又は翻案に当たらない。」
(p13)

と判断して、複製権侵害を否定しております。

<争点2>
著作者人格権に対する侵害も全て否定しております。

<争点3>
侵害が認められない以上、判断なしです。


【コメント】
高裁判決は、家庭を顧みず仕事に注力する夫を指して、「妻ではなく仕事と結婚したようなもの」と表すことが、あまりにもありふれている、ということを大前提としております。

そして、それがあまりにもありふれているがゆえに、正造氏について「正造は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない」という感想を抱くこ とは、ごく自然であることを指摘しています。

そうであるからこそ、この感想をそのまま書いた文章は、単なる感想という「アイデア」(思想)を書いたものに過ぎない、と判断しています。また、もし、これが「アイデア」でなく「表現」であったとしても、ごくありふれているがゆえに創作性はない、といっています。

つまり、上記慣用的な言い回しが「アイデア」に過ぎないのなら、同一性のある部分は「表現」の部分ではないから、著作権侵害にはならない。その言い回しが「表現」だとしても、そこには創作性が認められないから、その「表現」は著作物とはいえず、同一性があったとしても複製権侵害にはなり得ない、ということです。

さて、私見ですが。
妻を放置して仕事(なかんずく妻の実家の事業)に精力を傾ける夫(なかんずく娘婿)を指して、「妻ではなく事業と結婚したようなものだ」という言い方が、ごくありふれた慣用的なものでしかないことは、普通に読書してきた人間なら理解できるところでしょう。

しかし、だからといって、具体的にそのように書かれた文章を「アイデア」と断ずることができるかといえば、これが比喩的な言い回しであることを考えると、直ちに首肯はできかねます。とはいえ、この言い回しが陳腐ともいえるほど使い古された表現であることは明らかで、創作性が認められないことについては異論は全くありません。


弁護士 永 田 玲 子
インフォテック法律事務所

[▲上へ]



2010年06月25日11:56 邦画海外製造DVD輸入事件

【事件名】邦画海外製造DVD輸入事件
【裁判所】知的財産高等裁判所(第1部)
【判決日】平成22年6月17日
【事件番号】平成21年(ネ)第10050号 著作権侵害差止等請求控訴事件

【事実関係】
 Xは、映画制作会社「東宝」であり、1950年代に公開された「暁の脱走」、「また逢う日まで」および「お母さん」(「本件映画1~3」)を製作した。
 Yは、本件映画を韓国等でDVD(「本件DVD」)に複製の上、2007年1月ころ、無断で日本に輸入した。
 そこで、Xは、Yによる当該DVDの輸入がXの著作権を侵害すると主張して、Yに差止・破棄等と損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。東京地裁は、Yに対して、(1)本件DVDの製造・輸入・頒布の差止め、(2)本件DVDの在庫および原版の廃棄、(3)損害賠償を命ずる判決を下した。
 Yからの控訴を受けた知財高裁は、本件判決において、地裁判示のうち、(1)の差止めと(2)の廃棄は維持したが、(3)の損害賠償命令を取り消す旨判示した。

【争点】
1. 本件映画の著作権の存続期間は満了しているか
2. Xは、本件映画の著作権を保有しているか
3. YはXの著作権を侵害したか
4. Yによる侵害には故意または過失があったか
5. Xの損害は在ったか、在ったとすればいくらか

【判決要旨】
1. Xによる著作権の保有
 知財高裁によれば、(1)著作者の概念については、本件映画は現行著作権法が施行(1971年1月1日)される前に創作された著作物であるから、現行著作権法の職務著作の規定(15条、16条)は適用されない(附則4条)。さらに、(2)著作権の帰属については、本件映画は現行著作権法が施行(1971年1月1日)される前に創作された著作物であるから、映画製作者への著作権の当然の帰属(29条)は適用されない(附則5条1項)。
そして、知財高裁は、つぎのように判示して、映画監督を含む本件映画の全体的形成に創作的に寄与したすべての者が創作者であり著作権者であったが、少なくとも監督らの持分権はXに承継取得されたと認定した。

「(1) 本件各映画は,いずれも新著作権法が施行される前に創作された映画の著作物であり,同法附則4条によれば,映画の著作物の著作者に関する規定である同法16条は適用されないから,本件各映画の著作者がだれかについては,旧著作権法によることになる。
 そして,旧著作権法においては,映画の著作物の著作者について直接定めた規定はなく,著作物一般についての著作者の定義や著作物の定義を定める規定もないものの,この点につき,新著作権法における解釈と特段異なる解釈をすべき理由が見当たらないことからすれば,旧著作権法の下においても,著作物とは,思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいうと解される。
 そして,映画は,脚本家,監督,演出者,俳優,撮影や録音等の技術者など多数の者が関与して創り出される総合著作物であるから,旧著作権法の下における映画の著作物の著作者については,その全体的形成に創作的に寄与した者がだれであるかを基準として判断すべきものと解される。
 ……
 (3) 上記(2)アないしウのとおり,本件各監督は,それぞれ本件各映画の制作に,監督として相当程度関与したものであり,Aは,本件映画1の脚本担当者の1人にもなっている。
 しかし,本件各監督は,いずれも,本件各映画において,俳優として関与してはおらず,本件各映画において,本件各監督自身の演技などを通して,本件各監督の思想・感情が顕著に表れているものではない。また,本件各監督は,いずれも,本件各映画において,原作,制作,演出等を担当していたものでもなく(…),A以外のB及びCは,いずれも脚本を担当していない。
 そうであってみれば,本件は,チャップリンに関する最高裁平成20年(受)第889号平成21年10月8日第一小法廷判決・判例時報2064号120頁とは,事案を大きく異にし,本件各監督が,本件各映画の発案から完成に至るまでの制作活動のすべて又は大半を行ったものとは到底認められず,本件各監督は,本件各映画の全体的形成に創作的に寄与した者の一人にすぎないものと認められ,また,その寄与の程度については,格別の立証がなく,そのおおよその程度についても認めるに足りる証拠はない。
 (4) ところで,旧著作権法6条は,著作物の存続期間を定めた規定であるものと解されるが,同条につき,さらに,法人等の団体が著作者となり得ることを前提とした規定であると解することも可能である。
 そして,新著作権法における職務著作の規定の実質的な根拠とされた,法人等における著作物の創作実態及び利用上の便宜の必要性等の事情(…)は,旧著作権法の下においても,程度の差こそあれ存在していたものと推認できることからすれば,同法6条によって,直ちに,著作者として表示された映画製作会社がその映画の著作者となると帰結されるものでないとしても,旧著作権法の下において,実際に創作活動をした自然人ではなく,団体が著作者となる場合も一応あり得たものというべきである。
 特に,映画制作においては,非常に多くの者が関与し,その外延が不明なことが通常であり,それら多数の者の複雑な共同作業によって映画が完成するものであるが,その関与者の関与の時期,程度,態様等も,映画によって千差万別であって,このような性質を有する映画については,映画会社がその著作者となり,原始的にその著作権を取得したものと観念するのが,各関与者の意図に合致する場合もあったものと想像され,新著作権法15条1項所定の要件と同様の要件を備え,映画会社が原始的に著作者となるべきものと認める映画も相当数あったのではないかと思われる。
 (5) この見地から,本件各映画についてみるに,新著作権法15条1項所定の要件が充たされているかは,具体的には,(1)法人その他使用者(法人等)の発意に基づき,(2)その法人等の業務に従事する者が,(3)職務上作成する著作物で,(4)その法人等が自己の著作の名義の下に公表するもので,(5)その作成の時における契約,勤務規則その他に別段の定めがないかについて検討することになるところ,上記(4)の要件は,前記(2)アないしウのとおり,本件映画1,3の各オープニングの冒頭部分において,新東宝の標章や「新東宝映画」との表示がされ,各ポスターにも,新東宝の標章とともに,「新東宝興業株式会社配給」ないし「新東宝の良心特作」との記載があり,本件映画2についても,オープニングの冒頭部分において,原告の標章と「東宝株式会社」との表示がされ,ポスターにおいても「東宝株式会社製作・配給」との記載がされているものの,本件各映画のオープニングの冒頭部分やポスターに各監督名も大きく表示されていることを考慮すると,原告や新東宝が,自社の制作名義の下に本件各映画を公表したとはいい得るが,自社を著作者とした映画として公表したとまでいい得るか,必ずしも断じ難いものがある。そのほかの要件については,本件では,必要な証拠が十分に提出されていないため,確たることは不明であるといわざるを得ない。
 そうすると,旧著作権法下において,本件各映画が著作物として保護を受けることは明らかであるところ,その著作者としては,原告ないし新東宝と本件各監督を含む多数の自然人とのいずれと認めるのが合理的であるかについては,新著作権法15条1項の要件が証拠不十分のため,認められないとすれば,本件各映画の著作権は,本件各監督を含む多数の自然人に発生したものといわざるを得ない。
 そして,本件各監督を含む多数の自然人が著作者であると認めた場合には,いったん本件各監督等が各映画の著作権を取得しながら,その後,映画公開までの間に,原告又は新東宝に同著作権を黙示的に譲渡したと認められるかが問題となるところ,前記(2)セのとおり,新東宝・原告間では,著作権譲渡につき正式な契約書が存在するにもかかわらず,本件各監督と原告ないし新東宝との間の著作権の移転については,何ら証拠が提出されていない。しかしながら,監督については,前記(2)シで認定したように,原告は,テレビ放送への利用許諾等で対価を得た場合,原告もその会員である社団法人日本映画製作者連盟と,本件各監督もその組合員であった協同組合日本映画監督協会との間の申合せに従い,監督等に対し追加報酬を支払い,また,原告が放送への利用許諾等をした際には,協同組合日本映画監督協会に対しその旨を通知し,同協会は,監督等の組合員に対しその旨を連絡していることを考えると,映画製作会社は映画監督につき著作者の一人として処遇していることが窺われる。
 以上のように考えると,映画監督に限っては,映画公開までの間に原告又は新東宝に対し監督を務めることとなった法律関係に基づいて,自己に生じた著作権を譲渡したものと認定することができる。
 ……
 以上のとおり,本件においては,原告は,本件各映画について,本件各監督に発生した著作権の準共有持分を承継取得しているものということができる。ただし,その持分割合については,証拠上確定することができない。」


2. 著作権の存続期間
 知財高裁の判示によれば、本件映画は現行著作権法が施行(1971年1月1日)される前に公表された著作物であるから、著作権の存続期間は、施行時に旧著作権法上の保護期間が存続しておれば、旧著作権法上の保護期間(著作名義が自然人で有ればその死後38年間、団体名義で有れば公表後33年間)か、現行著作権法上の保護期間(公表後50年間。ただし、平成15年改正法の施行時(2004年1月1日)に保護期間が存続しておれば、公表後70年間)のいずれか長い法が適用される(附則7条)。そして、知財高裁は、つぎのように判示して、著作権の存続を認めた。

「以上のとおり,本件各監督は,それぞれ本件各映画の著作者の一人であり,これを前提にすると,本件各映画は,旧著作権法6条の団体名義の著作物に当たらず,本件各映画の著作権の存続期間について適用される旧著作権法の規定は,同法3条,52条1項であると解されるから,(1)本件映画1の著作権は,本件映画1の著作者であるAが死亡した平成19年(2007年)の翌年から起算して38年後の平成57年(2045年)12月31日まで,(2)本件映画2の著作権は,本件映画2の著作者であるBが死亡した平成3年(1991年)の翌年から起算して38年後の平成41年(2029年)12月31日まで,(3)本件映画3の著作権は,本件映画3が公表された昭和27年(1952年)の翌年から起算して70年後の平成34年(2022年)12月31日まで,それぞれ存続することとなる。」

3. Yによる著作権の侵害
 知財高裁は、地裁の判示を引用して、Yが本件DVDを輸入し頒布した事実を自白しており、当該輸入行為が著作権法113条1項1号に基づいて著作権侵害とみなされる旨認定した。

4. 侵害に対する故意・過失
知財高裁は、つぎのように判示して、地裁判決とは反対に、Yに調査義務違反がないとして、その過失を否定した。

「(1) 被告は,著作権の存続期間が満了してパブリックドメインとなった映画の販売等を業として行っていることが認められる(…)。なお,原判決は,このような事業を行う者としては,自らが取り扱う映画の著作物の著作権の存続期間が満了したものであるか否かについて,十分調査する義務を負っているものと解すべきであると判示するが,一般論としてそのような調査義務を負っていることは認められるが,そうであるからといって,そのような業者が高度の注意義務や特別の注意義務を負っているということはできない。
 (2) 旧著作権法における映画の著作物の著作者については,原則として自然人が著作者になるのか,例外なく自然人しか著作者になり得ないのか,映画を制作した法人が著作者になり得るのか,どのような要件があれば法人も著作者になり得るのかをめぐっては,旧著作権法時代のみならず,現在でも学説が分かれており,これについて適切な判例や指導的な裁判例もない状況であることは,証拠(…)に徴するまでもなく,当裁判所に顕著である。旧著作権法下における映画著作権の存続期間の満了の問題については,シェーン事件における地裁,高裁,最高裁の判決が報道された当時,法律家の間でさえ全くといってよいほど正確に認識されておらず,この点は,チャップリン事件の地裁,高裁,最高裁の判決が出た今日でも,同事件に登場してくるチャップリンが原作,脚本,制作,監督,演出,主演等をほぼすべて単独で行っているというスーパースターであるため,十分な問題認識が提起されたとはいえない。この問題が本格的に取り上げられるようになったのは,映画の著作権を有する会社が,我が国で最も著名な映画監督の1人といえる黒澤明の作品について,本件の原告等が本件の被告に対し本件と同種の訴訟を提起したことに事実上始まっているにすぎない。そして,チャップリン事件では,最高裁は先例性のある判断を示しているが,黒澤監督の作品では,黒澤監督以外に著作者がいることが想定されており,明らかにチャップリン事件よりも判例として射程距離が大きく判断も難しい事件であるところ,最高裁は上告不受理の処理を選択し,格別,判断を示していない。そして,本件各監督は,有名な監督ではあるが,黒澤監督の作品よりも,その著作者性はさらに低く,自然人として著作者の1人であったといえるか否かの点は判断の分かれるところである。
 そうであるとすれば,本件において,何人が著作者であるか,それによって存続期間の満了時期が異なることを考えれば,結果的に著作者の判定を異にし,存続期間の満了時期に差異が生じたとしても,被告の過失を肯定し,損害賠償責任を問うべきではない。原判決は,被告のような著作権の保護期間が満了した映画作品を販売する業者については,その輸入・販売行為について提訴がなされた場合に,自己が依拠する解釈が裁判所において採用されない可能性があることは,当然に予見すべきであるかのような判断をするが,映画の著作物について,そのような判断をすれば,見解の分かれる場合には,裁判所がいかなる見解を採るか予測可能性が低く,すべての場合にも対処しようとすれば,結果として当該著作物の自由利用は事実上できなくなるため,保護期間満了の制度は機能しなくなり,本来著作権の保護期間の満了した著作物を何人でも自由に利用することを保障した趣旨に反するものであり,当裁判所としては採用することはできない。」
(下線は筆者が加筆)

5. 損害の有無・金額
 知財高裁は、以上のようにYの故意・過失を否定したので、損害の認定には入らなかった。


【コメント】
1.旧法下での著作物に対する保護
 本判決は、旧著作権法で保護されていた著作物の保護期間と著作者・著作権者について、大いに参考になる。

2.著作物の自由利用に対する公衆の権利
 本判決において特に注目すべき判示は、過失に関する認定部分である。すなわち、本判決は、一方で、著作権が存続していた場合に著作物を排他的に利用することに対して権利者が持つ「法的利益」と、他方で、著作権が満了していた場合に著作物を利用することに対して利用者が持つ「法的利益」とを、対峙させて、著作権の存続期間の解釈に対する法令調査義務の違反の有無を検討している。これまでの多くの裁判例においては、地裁の判決のように、著作権が満了していた場合に著作物を利用することに対して利用者が持つ利益を、著作権者に対する保護が切れたことによる「事実上の利益」ないし「反射的利益」であって、「法的利益」とは考えていなかったと思われる。本判決は、前記判示の下線部分から明らかなとおり、著作物の自由利用に対する公衆の権利であるとの明確な認識に立って、これを利用者の「法的利益」ないし「権利」と捉えている。
 著作権が満了していた場合に著作物を利用することに対して利用者が持つ利益を、著作権者に対する保護が切れたことによる「事実上の利益」ないし「反射的利益」と考える場合には、権利侵害を回避するための注意義務のみがあることになり、裁判所が最終的に著作権者に対する保護が切れたと判断しない限り、ほとんど常に注意義務違反があることになる。他方、著作権が満了していた場合に著作物を利用することに対して利用者が持つ利益を、「権利」ないし「法的利益」と考える場合には、著作権が満了していると信ずるに相当な理由がある限り、権利侵害について過失は認められないこと(著作権侵害を生ずるおそれは「許された危険」に追いやられる)となる。
 著作物に対して著作権という排他的権利を著作者に与える根拠について、自然権説と産業政策説がある。たとえばドイツやフランスがとる自然権説(人格権説)によれば、著作物を保護する根拠は、著作物が著作者の不可侵の人格の表出であることを理由に、著作者自体の保護にある。自然権説に立てば、著作権が満了していた場合に公衆が著作物を利用することができるという公衆の利益は、著作権者に対する保護が切れたことによる「事実上の利益」ないし「反射的利益」でしかないとの考えに傾く。他方、たとえば米国がとる産業政策説によれば、著作物を保護する根拠は、公衆が利用できる著作物を市場に供給するための手段として(いわば必要悪として)著作者に著作権という独占権を与えるにすぎない。産業政策説に立てば、本来的に著作権の保護は公衆の自由利用のための制度であるから、保護期間満了後に公衆がこれを利用できる利益は「法的利益」と考えられる。わが国著作権法は、自然権説に立つものでも産業政策説に立つものでもなく、強いていえば、その折衷的性格を持つものといえよう。
 以上のとおり、本判決は、著作物の自由利用に対する公衆の利益に権利性を認めた先例として、画期的意義を有すると思われる。

弁護士 山本 隆司
インフォテック法律事務所

[▲上へ]


2010年06月04日10:13 がん闘病マニュアル事件

【事件名】 がん闘病マニュアル事件
【裁判所】 東京地方裁判所(民事40部)
【判決日】 平成22年5月28日判決
【事件番号】平成21年(ワ)第12854号 損害賠償請求事件
【事実関係】
 Xは、自己のがん治療体験を基に「がん闘病マニュアル」の執筆し,その記事を雑誌に合計20回にわたって連載した。Xは後にこれを単行本にして出版した。
 Yは、Xのがん治療に実施した開業医であり、クリニックを経営している。Yは、クリニックのホームページに、Xの連載記事のうち8回分について、リード文を削除したうえで本文をほとんどそのまま掲載した。
 Xは、Yホームページへの記事転載を知って、Yにその削除を求めたところ、Y速やかにこれを削除した。また、Xは、著作権侵害等を理由にYに1250万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴した。
 Xはこの訴訟において、(1)ホームページへの無断転載が著作権(複製権および公衆送信権)の侵害である、(2)Yが勝手に付けたニックネームを記事の著者名として表示することが著作者人格権(氏名表示権)の侵害である、(3)Yによるリード文の削除等は著作者人格権(同一性保持権)の侵害である、(4)記事に記載したXの病歴等をYがホームページで公開することはプライバシーの侵害である、(5)YがYに都合のいい8つの記事のみを掲載したことは、それによりXがYの「ちょうちん持ち」のような印象を他人に与えるので、Xの名誉を毀損する、と主張した。
 また、損害賠償額については、Xは、著作権(複製権および公衆送信権)の侵害による経済的損害(単行本の売上減による逸失利益)が900万円、同精神的損害が30万円、著作者人格権(氏名表示権および同一性保持権)の侵害による精神的損害が200万円、プライバシー侵害による精神的損害が40万円、名誉毀損による精神的損害が30万円、本件訴訟のための弁護士費用が50万円、総額1480万円のうち、1250万円の賠償を請求する。
 Yは、ホームページへの転載についてXの承諾を得ていたなどと主張して、Xの主張を争った。
 裁判所は、Xの主張のうち著作権(複製権および公衆送信権)の侵害ならびに著作者人格権(氏名表示権および同一性保持権)の侵害のみを認め、Yに対して、損害賠償として41万6000円の支払いを命ずる判決を下した。

【争点】
1.本件転載についてXの許諾があったか
2.本件転載は「引用」(著作権法32条1項)に当たるか
3.本件転載によるXの著作者人格権侵害の成否
4.本件転載によるXのプライバシー及び名誉権侵害の成否
5.Xの損害

【判決要旨】
1.本件転載に対するXの許諾があったかについて
 裁判所は、本件転載に対するXが承諾したとのYの主張を、その供述に具体性がなくかつ不自然であるとして、退けた。

2.適法な「引用」に当たるかについて
 裁判所は、つぎのように判示した。

「(1) 被告は,本件転載について,著作権法32条1項の「引用」として適法なものである旨主張するが,同項所定の「引用」とは,報道,批評,研究等の目的で自己の著作物中に他人の著作物の全部又は一部を採録するものであって,引用を含む著作物の表現形式上,引用して利用する側の著作物と,引用されて利用される側の著作物を明瞭に区別して認識することができ,かつ,両著作物の間に前者が主,後者が従の関係があるものをいうと解するのが相当である(最高裁昭和55年3月28日第三小法廷判決・民集34巻3号244頁)。そして,同項の立法趣旨は,新しい著作物を創作する上で,既存の著作物の表現を引用して利用しなければならない場合があることから,所定の要件を具備する引用行為に著作権の効力が及ばないものとすることにあると解されるから,利用する側に著作物性,創作性が認められない場合は「引用」に該当せず,同項の適用はないというべきである。
(2) これを本件についてみると,…本件記事を除く部分は,いずれも短文の上,内容もおしなべて平凡なものであり,これらについて,被告の思想又は感情を創作的に表現したものとして,著作物性,創作性を認めることは困難である。仮に,これらの部分に著作物性,創作性が肯定される余地があるとしても,その分量,内容からして,引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物との間に,前者が主,後者が従の関係があるものと認めることはできない。
 したがって,本件転載が著作権法32条1項所定の「引用」として適法であるとすることはできない。」


3.著作者人格権侵害の成否について
 裁判所は、著作者人格権侵害の成立に対するYの反論に具体的主張がないとして、その成立を認めた。

4.プライバシー及び名誉権侵害の成否について
 裁判所は、YのホームページによるXの病歴等の開示はそもそもすでにXの連載記事で公開されているところであるからプライバシーの侵害はないとし、また、Yによる8記事の選択にはYに都合のいい記事の選択であるとの事実やそれが「ちょうちん持ち」の印象を他人に与えるとの事実はないとして、Xのプライバシー侵害と名誉権侵害の主張を退けた。

5.損害額について
 裁判所は、著作権(複製権および公衆送信権)の侵害による経済的損害として使用料相当額21万6000円(=12,000円/頁x18頁)、著作者人格権(氏名表示権および同一性保持権)の侵害による精神的損害として15万円、弁護士費用として5万円、合計41万6000円を損害賠償額として認定した。なお、著作権(複製権および公衆送信権)の侵害による精神的損害は、その発生を否定した。

【コメント】
 この判決には1点、気になるところがある。著作権法32条1項の「引用」に当たるためには、引用する側に著作物性が必要だとする判示である。
 他人の著作物の「引用」は、広狭の差こそあれ、いずれの国においても、適法とされ、著作権に対する権利制限の対象とされている。その理由づけもいろいろだが、その核心は、表現の自由にある。公衆に向けて、他人の意見に対して自由にものが言えること(批判・批評)が民主主義の基礎である。他人の意見に対してものをいう(批判・批評)には、公衆に向けて、その他人の意見を正確に伝達することがフェアな論議のためには必要となる。そこで、たとえ他人の意見が著作物であったとしても、自分の意見を言うために従として他人の意見を「引用」することに、著作権の権利制限が掛けられている。自分の意見が自分の意見である限り、それに著作物性があろうがなかろうが、その自由な言論を保護することが、民主主義に必要である。したがって、著作権法32条1項の「引用」に当たるためには、引用する側に著作物性は必要ないと考えられる。本件判決のこの部分に関する判示は誤りであると考える。

弁護士 山本 隆司
インフォテック法律事務所

[▲上へ]